専業主婦的、番組批評〜ラッパーECDの生涯に迫るドキュメンタリー〜

番組批評
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専業主婦の妻です。

先日Eテレで放送された『こころの時代~宗教・人生~』。観たことがない番組でしたが、今年1月に57歳で亡くなったラッパーの第一人者ECDの「“個”として生きる」という信念を貫いた生涯に迫るドキュメンタリーということで、録画して観てみました。

番組は、ヒップホップ好きな30歳のディレクターが、奥様や、今や人気ラッパーとなったサイプレス上野など、近しかった人物へのインタビューを交え、生前に記したエッセイを基に彼の人生をなぞっていくというもの。

私自身は高校生の頃からヒップホップが好きでよく聴いていました。しかしながら、ECDに関する知識というと、ロンリーガールの人、ラッパーの第一人者、さんピンCAMPの主催の人、くらいの印象でした。今回、このドキュメンタリーを観て、彼の人生の一端に触れ、感じたことを書いていきます。

日本でヒップホップ人気が過熱した1999年に、ECDはラップがメジャー路線になっていくことへの嫌悪感から、ラップと決別します。そして、アルコール依存症で入院しました。

思い出せば、確かに1999年、そんな感じだった気がします。ヒップホップはアングラだからカッコ良かったのに、的な気持ち。ラッパーの第一人者としては、受け入れ難い世の中の流れだったのかな。その後に、ラップとは違った表現を求めて発表した楽曲が番組で流れていましたが、これは万人ウケしない方向に敢えて進んでいるって感じが顕著でした。ポエトリーリーディングという、詩を朗読するような表現。ポエトリーリーディングといえば、私は昔、THA BLUE HARBのライブに一度だけ行ったことがありましたが、その時につくづく、自分にアングラを好きでい続ける自信はないと思いました。正直、独特の煙たい暗い空気に胸が苦しくなりました。メジャーでポップで、入り口がオープンで、誰にでもかじれて、みんなでワイワイ聴けるのが自分には楽チンなんだと。

番組ではECDの人生をなぞる中で、なぜ彼が頑なに“個”として生きることにこだわるのかが紐解かれていきます。貧しかった幼少期、飢え死にしないことだけを目標にただ生きる父と、人様に迷惑をかけるなと言い続ける母に、彼は育てられました。ありがとう、ごめんね、と当たり前のことを言い合わない今思えばおかしな家族。幼き頃に戦争を経験した彼の両親は、“個”として生きることを許されなかった戦争の被害者でした。そんな両親に育てられたECDが、13歳の時にテレビで見たデヴィッドボウイに衝撃を受け、ストイックなまでに個として生きることを貫いていくのです。

そういう背景があって、人に流されず、個として生きるんだ、という信念があるということはよくわかりました。

そんな彼が48歳で結婚し、2人の子供を授かります。あれだけ、人間は一人で生まれて一人で死んでいく、ひとり、ひとり、、、と言っていたのに。そして、結婚、育児、そんなリアルな日常をラップで表現しています。とても素朴で正直で、でも熱くて、私は素敵だと思いました。

それなのに、彼のエッセイ『他人の始まり 因果の終わり』では、それでも人間は個である、家族になっても夫婦になっても、結局は個である、人間は一人だと強く言い続けます。愛情深い奥様のことを、他人と言い切るあたり、全く理解できません。信じられません。

入院先から一時退院してきて咳き込みながらレコーディングした、「君といつまでも(together forever mix)feat. ECD×DJ Mitsu The Beats」。番組で始めて聴きましたが、感動しました。(しかも、大好きだったドラマdeleの音楽も担当していたDJ Mitsu The Beats!)あれは、家族への強い強い愛情を感じずにはいられませんでした。結婚して、子供を授かり、幸せを感じる中で、本当は個でいたくなくなった。君といつまでもいたい、一人で死んでいくのはさみしい!私にはそんな心の叫びが染み渡りました。

番組の中盤くらいで、「小さい子供が嫌い。自分で稼ぎもしないのに、わがままばかり言って、甘えている。一人では何もできないくせに」というようなエッセイの一節が紹介されていました。自分と一緒じゃん!最低だなこの人、、と最初は引きましたが、今はこうも考えています。きっとECDはまだまだ子供で、奥様に対して他人と言い切ったのも、最後のわがままだったのかな、と。

以上、専業主婦的、番組批評でした。

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